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小磯良平「エステラ」銅版画 ed120【真作】
額サイズ 約38.9×46.4cm
マット内側サイズ 約21.0×28.4cm
【真作】edナンバー、サインが鉛筆による直筆で記入
箱あり 40.5×48.0cm
☆コレクション整理のため出品いたします。
☆作品自体はとても綺麗です。
☆額裏にヤケ、経年の小さな傷等ありますが鑑賞には気にならない程度と思います。
☆古いもので新品ではございません。大事に保管しておりましたがそれなりの経年感、汚れ等あります。ご承知の上でご入札ください。
☆上記サイズはおおよその数値です。ミリ単位での誤差はあると思いますのでご参考程度にお願いいたします。
☆エステラさんは晩年の作品のモデルさんですね。この作品は1982年頃の作品だったと思います。
作家略歴
1903年 ・7月25日 岸上文吉、こまつの次男として神戸中山手通7丁目に生まれる
1917年 ・兵庫県立第二神戸中学(現 兵庫高校)に入学、同級の竹中郁と以後親交を結ぶ。
1922年 ・東京美術学校(現 東京芸大)西洋画科に入学。同級生に猪熊弦一郎、荻須高徳、牛島憲之、山口長男ら。
1923年 ・東京美術学校、藤島武二の教室に入る。
1925年 ・10月 帝国美術院第六回美術展覧会(帝展)初入選。
・小磯家の養子となる。
1926年 ・10月 第7回帝展で「T嬢の像」が特選を受ける。
1927年 ・東京美術学校西洋画科を首席で卒業。
1928年 ・5月 渡仏。竹中郁とパリ滞在を共にする。
1929年 ・サロンドートンヌに「肩掛けの女」が入選。
1930年 ・2月 竹中郁と共にヨーロッパより帰国。
1932年 ・10月 第13回帝展で「裁縫女」が特選、政府買い上げになる。
1936年 ・内田巌、三田康、猪熊弦一郎、中西利雄、佐藤敬、伊勢正義、脇田和らと「新制作派協会」を結成。
1938年 ・5月 陸軍報道部の委嘱により、支那事変記念画制作のため上海に渡る。
1942年 ・陸軍省派遣画家に選ばれ、バリ島などに征く。
・「娘子関を征く」が第一回芸術院賞を受ける。
1943年 ・3月 東京美術学校非常勤講師となる。
1945年 ・6月5日 神戸空襲でアトリエを失い、武庫郡山田村下谷上へ転居。
1946年 ・神戸市須磨区瀧ノ茶屋に転居。
1949年 ・武庫郡住吉村字松本(現 神戸市東灘区住吉山手)に住居とアトリエを新築。
1950年 ・5月 京都市立美術大学非常勤講師となる。
・11月 東京芸術大学油絵科講師となる。
1953年 ・神戸銀行本店(現 三井住友銀行)のための壁画「働く人びと」を制作。
・12月 東京芸術大学教授に昇任する。
1954年 ・神奈川県逗子市にアトリエを構える。
1956年 ・2月 武田薬品工業の「武田薬報」の表紙に薬用植物スケッチを描く。
・神戸国際会館二階大ホールの緞帳「扇港図」をデザイン。
1958年 ・5月 第三回現代日本美術展で「大衆賞」を受ける。
・日本盲人福祉委員会の愛盲十字シールのデザインをする。
・学部長、伊藤廉と東京芸術大学美術学部に版画教室を設ける。
1964年 ・8月 小磯良平・第一回銅版画展で、芸大で数年来手掛けてきた銅版画を初めて公開。
1970年 ・4月 アメリカより戦争画153点が無期限貸与の形で返還され、「娘子関を征く」他作品が東京国立近代美術館に収蔵される。
1971年 ・3月 日本聖書協会の「口語聖書」に挿絵を描く。
・3月 東京芸術大学教授を退官、4月 同名誉教授となる。
・4月 画業50年小磯良平展開催
・9月 小磯良平、脇田和、退官記念素描版画展開催
1973年 ・5月 愛知県立芸術大学客員教授となる。
・神戸文化ホールの大ホール用緞帳「舞台の上の出演者」をデザインする。
・赤坂迎賓館の壁画の依頼を受け、「絵画」「音楽」の政策に着手。
・11月 勲三等旭日中綬章を受ける。
1976年 ・宝塚大劇場の緞帳「騎士の門出」をデザインする。
1979年 ・10月19日 文化功労者に決定。
1980年 ・1〜5月 小磯良平展(全国4会場)開催
1982年 ・親友であった竹中郁が死去。(享年77歳)
・12月 日本芸術院会員となる。
1983年 ・3〜7月 《画業60年》小磯良平のすべて展開催
・11月 文化勲章受章
・11月9日 妻、貞江が死去
・12月21日 神戸市名誉市民の称号を贈られる。
1984年 ・《文化勲章受章受賞記念》小磯良平展開催。「薬用植物画譜」の原画も初めて出品される。
・6月 「小磯良平ブックワーク」刊行。
1985年 ・4月 兵庫県公館竣工記念にタピストリー「KOBE,THE AMERICAN HARBOUR」の原画制作。
1986年 ・11月 谷崎潤一郎の生誕百周年記念の文学碑をデザイン。
1987年 ・1〜8月 小磯良平展(全国6会場)開催。
1988年 ・4月 兵庫県立近代美術館に小磯良平、金山平三記念室として作品20余点を常設展示。
・12月16日 肺炎のため死去。
1989年 ・自宅に遺されていた油彩92点、デッサン346点、版画204点、挿絵原画1453点と、アトリエ及びその遺品が神戸市に寄贈される。
(以上、神戸市立小磯良平記念美術館所蔵作品総目録掲載の略歴より抜粋。)
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額サイズ 約38.9×46.4cm
マット内側サイズ 約21.0×28.4cm
【真作】edナンバー、サインが鉛筆による直筆で記入
箱あり 40.5×48.0cm
☆コレクション整理のため出品いたします。
☆作品自体はとても綺麗です。
☆額裏にヤケ、経年の小さな傷等ありますが鑑賞には気にならない程度と思います。
☆古いもので新品ではございません。大事に保管しておりましたがそれなりの経年感、汚れ等あります。ご承知の上でご入札ください。
☆上記サイズはおおよその数値です。ミリ単位での誤差はあると思いますのでご参考程度にお願いいたします。
☆エステラさんは晩年の作品のモデルさんですね。この作品は1982年頃の作品だったと思います。
作家略歴
1903年 ・7月25日 岸上文吉、こまつの次男として神戸中山手通7丁目に生まれる
1917年 ・兵庫県立第二神戸中学(現 兵庫高校)に入学、同級の竹中郁と以後親交を結ぶ。
1922年 ・東京美術学校(現 東京芸大)西洋画科に入学。同級生に猪熊弦一郎、荻須高徳、牛島憲之、山口長男ら。
1923年 ・東京美術学校、藤島武二の教室に入る。
1925年 ・10月 帝国美術院第六回美術展覧会(帝展)初入選。
・小磯家の養子となる。
1926年 ・10月 第7回帝展で「T嬢の像」が特選を受ける。
1927年 ・東京美術学校西洋画科を首席で卒業。
1928年 ・5月 渡仏。竹中郁とパリ滞在を共にする。
1929年 ・サロンドートンヌに「肩掛けの女」が入選。
1930年 ・2月 竹中郁と共にヨーロッパより帰国。
1932年 ・10月 第13回帝展で「裁縫女」が特選、政府買い上げになる。
1936年 ・内田巌、三田康、猪熊弦一郎、中西利雄、佐藤敬、伊勢正義、脇田和らと「新制作派協会」を結成。
1938年 ・5月 陸軍報道部の委嘱により、支那事変記念画制作のため上海に渡る。
1942年 ・陸軍省派遣画家に選ばれ、バリ島などに征く。
・「娘子関を征く」が第一回芸術院賞を受ける。
1943年 ・3月 東京美術学校非常勤講師となる。
1945年 ・6月5日 神戸空襲でアトリエを失い、武庫郡山田村下谷上へ転居。
1946年 ・神戸市須磨区瀧ノ茶屋に転居。
1949年 ・武庫郡住吉村字松本(現 神戸市東灘区住吉山手)に住居とアトリエを新築。
1950年 ・5月 京都市立美術大学非常勤講師となる。
・11月 東京芸術大学油絵科講師となる。
1953年 ・神戸銀行本店(現 三井住友銀行)のための壁画「働く人びと」を制作。
・12月 東京芸術大学教授に昇任する。
1954年 ・神奈川県逗子市にアトリエを構える。
1956年 ・2月 武田薬品工業の「武田薬報」の表紙に薬用植物スケッチを描く。
・神戸国際会館二階大ホールの緞帳「扇港図」をデザイン。
1958年 ・5月 第三回現代日本美術展で「大衆賞」を受ける。
・日本盲人福祉委員会の愛盲十字シールのデザインをする。
・学部長、伊藤廉と東京芸術大学美術学部に版画教室を設ける。
1964年 ・8月 小磯良平・第一回銅版画展で、芸大で数年来手掛けてきた銅版画を初めて公開。
1970年 ・4月 アメリカより戦争画153点が無期限貸与の形で返還され、「娘子関を征く」他作品が東京国立近代美術館に収蔵される。
1971年 ・3月 日本聖書協会の「口語聖書」に挿絵を描く。
・3月 東京芸術大学教授を退官、4月 同名誉教授となる。
・4月 画業50年小磯良平展開催
・9月 小磯良平、脇田和、退官記念素描版画展開催
1973年 ・5月 愛知県立芸術大学客員教授となる。
・神戸文化ホールの大ホール用緞帳「舞台の上の出演者」をデザインする。
・赤坂迎賓館の壁画の依頼を受け、「絵画」「音楽」の政策に着手。
・11月 勲三等旭日中綬章を受ける。
1976年 ・宝塚大劇場の緞帳「騎士の門出」をデザインする。
1979年 ・10月19日 文化功労者に決定。
1980年 ・1〜5月 小磯良平展(全国4会場)開催
1982年 ・親友であった竹中郁が死去。(享年77歳)
・12月 日本芸術院会員となる。
1983年 ・3〜7月 《画業60年》小磯良平のすべて展開催
・11月 文化勲章受章
・11月9日 妻、貞江が死去
・12月21日 神戸市名誉市民の称号を贈られる。
1984年 ・《文化勲章受章受賞記念》小磯良平展開催。「薬用植物画譜」の原画も初めて出品される。
・6月 「小磯良平ブックワーク」刊行。
1985年 ・4月 兵庫県公館竣工記念にタピストリー「KOBE,THE AMERICAN HARBOUR」の原画制作。
1986年 ・11月 谷崎潤一郎の生誕百周年記念の文学碑をデザイン。
1987年 ・1〜8月 小磯良平展(全国6会場)開催。
1988年 ・4月 兵庫県立近代美術館に小磯良平、金山平三記念室として作品20余点を常設展示。
・12月16日 肺炎のため死去。
1989年 ・自宅に遺されていた油彩92点、デッサン346点、版画204点、挿絵原画1453点と、アトリエ及びその遺品が神戸市に寄贈される。
(以上、神戸市立小磯良平記念美術館所蔵作品総目録掲載の略歴より抜粋。)
☆発送は出来るだけ迅速にを心掛けますが、当方、残業の多い職場にて多少お時間いただく場合もございます。ご了承のほど宜しくお願い申し上げます。
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